こわれた街(6・25) 高円寺無力無善寺
ということで、2か月ぶりに、無善寺通常ライブに参加してきました。
トップは無善菩薩。
休業中に作った新曲とのことでしたが、なんと2部構成の1曲、30分一本勝負でした。
さらに無善菩薩といえば言葉系の人だと思うわけですが、この日の曲には音と嗚咽?のみで、言葉は一切登場せず。
コロナで、チャック、もといチャクラが開いてしまったのでしょうか。
続いては、私。3曲やりました。
月は東に日は西に
越天楽猫様
にゃんこかぞえうた
そして、おもちつはる。
「おもち」とは、お世話をしている猫の名前だそうです。
必要最小限の言葉と音数によるしみる弾き語りでした。
嘘よ本当よのリフレインの曲がとりわけ印象的でした。
第4木曜レギュラーのババカヲルコ。
オープニングは、ライブタイトルにもなっている「こわれた街」。
その歌を聴きながら、ふとこの歌は、ある意味で「コロナ」を予見していた歌なのではないかと思った次第。
「コロナプロジェクト」がどのような目的のもとに行われているのかを考えると、管理社会の究極形、最終形態として、街そのものを刑務所化しようとしているのではないかという気がいたします。
刑務所では、嗜好品であるタバコ、酒は当然禁止。エンターテインメントも不要。
部屋以外では、私語も禁止。
受刑服のかわりとしてのマスク。
刑務所内でも生産活動は行われているものの、何を生産するかを決める自由は受刑者にはない。
少額ながら給料は出る(=給付金、ベーシックインカム)等々。
そして、刑務所化のプロセスの最後の障害になるのが「恋愛」だと思うわけですが、昨今の某芸人のスキャンダルでのメディアの異常なたたきかたは、恋愛禁止の空気を作ることが目的であり、やがて、さらに段階が進むと、芸能人が、結婚宣言、交際宣言をしただけで、メディアが猛烈にたたくという流れになっていくのではないか。
と、そんなことを思った次第。
そして、ポニー馬糞。
オープンマイクで、褌一丁で歌う彼を見たときに、村山槐多の尿(いばり)する裸僧という絵を思い出したのですが、この日は何かそこに竹中直人もオーバーラップしたような気が。
愉悦の表情を浮かべつつ、くねくねした動きで、かつ聞こえるか聞こえないかの声量で歌うその姿は、まさに怪演という言葉がふさわしいような気がいたしました。
さらに、この日演奏したウクレレはなんと自作とのこと。おまけに、そのウクレレは、フレットが、1弦から4弦まで1直線ではなく、1~2弦までのフレットと、3~4弦までのフレットが、ずれていたりするという初めて遭遇する形態の代物でした。
その意図するところを聞いてみたわけですが、酔っぱらってたからか、こちらの音楽力の欠如のせいなのか、よくわかりませんでした(汗)
ラストは、徳明希望。
吉川晃司を彷彿とさせる歌いっぷりの歌があったり、菩薩をネタにしたリアクションに困る?紙芝居があったりでした。
無善寺でこれまでに見た紙芝居は、ほとんど菩薩ネタが含まれていたような気が。
そして、この日の雑談のなかで、CDが売れない、という以前に、CDの再生環境自体がすでにほとんどないという話があったのですが、紙芝居や絵というのは、最先端ぶって登場するあらゆる記録メディアよりも後世に生き残る可能性が高いのではないかと思った次第。
とそんなこんなで高円寺の夜がふけていったのでありました。
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